弥縫録

その場しのぎで生きてく中年の記録

書いて留めよ

なんか、仕事中にメモを取るべきなんだろうなって。最近はよく思います。

 

忘れるんならすっきりさっぱり、全部忘れちまえばいいんですけどね。

 

何かしら、三枚(1200字)ぐらいにできるようなネタが「あった」ということだけが頭に残っていて、それが何だったのかがさっぱりわからない。

 

出来事を盛っていくようなスタイルの発想ではないのが致命的です。

発作的に思いつく、突発的なナニか。これはもうね、通り魔事件の捜査と似たようなもので、犯人確保にたどり着くのが本当に困難です。

 

突拍子もないことを思いつけていたことが、私自身に利益もあったからね。そういう体質だったことを恨むことはないんですが、この程度の記憶を保持できない程度まで経年劣化が進んだか、と。思うとなにか、次のステージが始まりそうでドキドキしますね。四十代も半ば。今年度中には四捨五入でアラフィフ。45歳ですってよ。

 

二十歳の私は、三二歳の自分を想像できませんでしたが、四五にならんとする私は三三歳の自分が何をしていたのかを思い出せない始末です。

 

そうやって、人間は成長していくんでしょうね。変化を劣と見れば、死ねない現代日本人としては悲しみの時間が長くなりますから、それはまるで絵葉書の風景を見に行く旅のようなもので。

 

先輩方が、「年は取りたくないねぇ」と言っていたシチュエーションまで、ようやく自分もたどり着いたんだな、って。そう思えるような自分になるべく。修行に余念がない私であります。

 

 

 

という文章を書いたうえで、AIにタイトルを考えさせてみましたが。

 

なんでしょうねぇ。まだしばらくは、彼らの脅威に怯える必要はないんじゃないかとおもいましたよ。

 

内容からタイトルを考えて、記憶だの成長だのという単語が出てくるようではまだまだ、なかなか。。

 

そういう私がどんなタイトルを付けるのか。誰に頼まれてもいない自罰的結末が、自分で書いていて本当に鬱陶しいこの頃であります。