シャレや冗談。気軽な思いつき。そんなきっかけ。
大体の場合、深刻な問題はこうして始まります。
第一歩を踏み出さないという警戒心。このぐらいなら、が蟻の一穴になるということを思いながら、日々を生きていきたいものですね。
さて、本題はそういう重い感じの話ではありません。
ネタキャラだと思って面白がっていたら、推しになっていたなんてことは、分かる人には分かる話でしょう。
ネタキャラになるには、面白いだけではだめなんですよ。ものすごいパワーが、明後日の方向にぶっ飛んでいるからネタキャラなんです。そのパワーに惹かれることは当然ある。だって、ベクトルがアレなだけでスカラー量はメインキャラに負けないのが「ネタキャラ」なんですからね。
気が多い性格で、あれもこれも、と何でも手を出しています。
多様性というのは、異常者が異常者として居場所がある世界のことであって、異常者が日の下を胸を張って歩けなければ駄目だ、と空気を読まないアホに眉をひそめる真っ当な人を、頼んでもいない代弁者がポリコレ棒でぶん殴ることではないと思うんですね。
居場所を奪うな、というだけのはなしであって、要するに「ゾーニングはガッチリ、規制は最小限に」が実施される世界が多様性を認める社会何じゃないかな、って。
「普通」というのは大黒柱なんだから、そこからの距離感で楽しむことも多いと、私は考えますが、そんな事を言いたいわけじゃないんです。それはまた別件です。
趣味の悪食を自認しています。
なんでもいいんですよ。沼正三の頭の中はちょっとネガティブな言葉でしか評価できませんが、性を裏返したらどうだろうか。もっとマイルドにしたらどうだろうか、と条件を緩和していけばなんのことはない。バニラエッセンスが苦いって話であって、サディストがいう「快楽は苦痛を薄めたもの」という主張に力を与えかねない結論が見えてしまうわけですね。
えーっと。
違うんです。話を戻します。
私ね、フォン・カラヤンのベートーヴェンに衝撃を受けてから、クラシックを聞くようになったんですよ。
で、どのくらい前でしたかねぇ。
シモノフに出会ったんですね。演奏でわかるほど耳が肥えておりませんが、ありがたい時代です。
youtubeで検索したら、ユーリ・シモノフが棒を振っている動画がいくらでもありますよ。
最初は面白かった。なんじゃ、こりゃ、と。
指揮台で踊る男。
何度も見て、何度も「面白いなぁ」と思っているうちに、気づいたら彼の指揮による仮面舞踏会のワルツを、何度も、何度も聞いていたんですね。
他の演奏も聞いてみましたが、間違いなく、シモノフのハチャトゥリアンが一番しっくり来るな、と。
そう気づいたあと、彼の指揮を見ていると不思議なものですよ。合点がいくんですね、動きのいちいちに。
指揮者がいなくても、楽団は演奏できるんだよ、と。そういう話を聞いたことがあります。
ということは、ユーリ・シモノフの指揮台での「こういうイメージでやってね、次はこうだよ」と棒を超えて指揮をしている姿というのは極めて合理的なのでしょうな。
ユーリ・シモノフ。1941年生まれの83歳。ご存命です。
マエストロの末永いご健勝を心よりお祈りして、今日はこのへんで。では。